「木下カルト」と「オウム88年」の類似性

「木下カルト」と「オウム88年」の類似性

オウム真理教は、その前進である「オウム神仙の会(1984設立)」から5年を経て宗教法人の認可(1989)を受けた。同年には男性信者殺害事件や坂本堤弁護士一家殺害事件など、凶悪事件を引き起こし、反社会的カルトへと暴走していった。
「放射能防御プロジェクト」は昨年、国や政府に先がけて「土壌調査」を行う画期的な活動を行ってきた。それは、土壌調査への参加者全てが検体を提出し検査費用や送料を負担することで実施され、「放射能防御プロジェクト」が取りまとめるという参加者全体による作業として成り立った事業であった。
しかし「木下黄太」は、2012年3月のバンダジェフスキー博士の講演以後、今まで「放射能防御プロジェクト」で共に動いてきた「仲間」を切り、「ネットカルト」の教祖として豹変していった。そこには彼のマネージャーと称する女性「安友志乃」の存在がある。「木下黄太」がコントロールする放射能防御プロジェクトと「安友志乃」が主催する「みんなのカルテ」が作り上げた「ビジネスモデル」は、今では放射能の危険性を感じている多くの人達をあおり立て、近い将来、社会問題へと発展する危険性までを感じさせる。

オウムの場合は設立まで5年間かかった時間が、SNSネット社会網を通じて約1年半で「木下カルト」へと成長してしまったこのネット社会の時代性に、私は注目したい。これを私は「ネットカルトの時代」と呼ぶ。
今の「放射能防御プロジェクト」は1988年のオウム真理教の状況に酷使している。それは単に、ヨーガサークルから始まりながらも「悟りを表明する極端な教え」と「空中浮遊」など人の気持ちを揺り動かす技法に長けていて、多くの若者を引きつけた。当時の信者は「サークル的乗り」「アイドル的な教祖」として、「危ないと感じたらいつでも辞めよう」という軽いノリで信者達が引きつけられて行った。1988年は「麻原教祖」がインドでダライ・ラマと会談したり、著名な高僧を富士宮本部に招いたりして、教団が最も活力があり、信者がその活動に盲目的にまた熱狂的に魅せられていった時期でもある。1989年当時には約1万人程度の信者がいた。
オウム真理教はその後、政界進出をめざし総選挙に立候補。その敗北を受けて、武装化へと進んでいった。
「オウム真理教」にとって88年とは、教団がカルト化へと変貌するターニングポインドでの絶頂期であったのだ。

「放射能防御プロジェクト」は、2012年バンダジェフスキー博士やその他著名な博士の講演会を行っている。「木下黄太」は彼らの情報知識や権威とハクを得ることで、彼のビジネスモデルのベースを構築している。それは、あたかも1988年の「オウム真理教」の時期と符合する。オウム真理教が5年かかって作り上げたカルト教団の基礎を、SNSネット社会網を駆使して約1年半で「木下カルト」の基礎が作られたことは、今のネット社会が生んだ時代の寵児と言わざるを得ない。
今では、「木下真理教」と言えるほど、彼の暴走は危険なものになっている。
(参照:大物講演会のビジネスモデル

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